Babakが私のサイトを偶然見つけてメールをしてきたのは、ちょうどオランダ行きのチケットを予約した数日後。
「オランダをベースに映画音楽を作って自身もシタールとタールの演奏をしている。
今作っているプロジェクトにアートワークで参加出来ないか」
と言う内容。
正直最初は信じていなかったというか、アムステルダムを中心にインターネットでオランダ情報を色々検索していたので、何かイタズラかDMか。。。と思っていた。
だってタイミングがあまりに良すぎるので。。。
何度もメールを読み返してどうやらイタズラとかそういうものではないと言う事はわかったのだけど、最初は様子見な感じの返事を送信。
それからメールのやり取りとSkypeのやり取りをして、オランダで会う事に。
Babakと彼女が暮らしているのはZaandamと言う街。
アムステルダムから電車で10分くらい。
2人は私たちを夕飯に招待してくれて、美味しい美味しいイラン料理を振舞ってくれた!
彼らは2人ともイラン人。
彼女は赤ちゃんの時に一家で移住してきたけど、Babakは18歳の時に政治的な理由で祖国を追われ一人難民になりオランダへ亡命したんだそう。
それから12年間イランにいる家族と会えていない。
オランダで暮らしている日本人の殆どは、自分で望んで(もしくは仕事の関係などで)移住したんだと思うけど、彼にとってはたまたまその時難民の受け入れ先がオランダだったと言うだけで、アメリカやカナダに住めたら英語がもっと話せるようになってたんだろうな、と言っていた。(でもアメリカやカナダに移住していたら彼女に出逢えなかったね。)
一番いいのはアメリカでもカナダでもなく祖国で暮らす事。
「外国の人が『どうしてみんな日本から出ようとしないの?』と言っている。
西や南の人が『東京から逃げてくれば?』と聞いてくる。」
Babakの話を聞きながら、ここ最近自分に対してや周りで投げかけられている言葉をぼんやり思い出した。
最初はさぐりさぐりな感じだったけど、お互いの事、イランの事、オランダの事、日本の事、音楽や映画や物造りの事、仕事の事、食べ物の事、今まで行った旅の事、家賃や生活費の事、家族の事。。。色々話してあっという間に夜中近くになってしまった。
ホテルまで送ってもらった車の中で
「偶然インターネットでホームページを見つけて一ヶ月後にはご飯を一緒に食べてるなんて(しかも家まで行って)変なの!」
と言ってみんなで爆笑した。
次は東京でお返しのおもてなしをしたいな。
Babakが音楽を担当したCM
Zaandamで泊まった可愛いホテル
と、可愛い駅
工事が終わる頃また行きたいなぁ。
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